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民族と金

毎日毎日雨が、

茅葺[#底本では「茅茸」と誤記]屋根の農家を浸した。
 若い父は古い木の根株の上で、千本削つて何厘といふやうな楊子[#底本では「揚子」と誤記、以下同じ]をそいでゐた。
 電光のやうな鋭利な刄物[#底本ママ]で、若い生命を削つてゐた。時々溜息を吐いて空を見たり、白い眼をして放心したりしてゐた。彼はその時小作人だつた。
 若い母は、蓮根のやうな腕をして製糸工場へ通つた。その頃街には、製糸工場の煙突と肥料屋の倉庫が殖えた。
 太い煙突から黒龍のやうに空へ登つてゆく煤煙の下で、若い母は屑糸を出して罰しられながら喘いでゐた。
 そこへ猿みたいな赤ん坊が生れた。
 毎年、續けさまに生れた。
 然し私の可愛い乳兄弟達は、新月のやうな薄眼をして崇高な寢息をたてながら、巴旦杏のやうに成熟していつた。
 寒い晩、私は子供達と、穴の中の藁苞に貯えてある銀杏の實を出して、爐の縁で燒いて食べた。父は何時でも厚ぼつたい唇を開けて默りこくつてゐる。
 狹い家の中で鬱してくると、私は直ぐ下の男の兒をいぢめた。
「姉こう! さあ、やつてこい姉こう。」
 彼はむきになつて攻勢をとる。
 私は彼が男の兒であるのと、自分が彼よりも年嵩なのを好い事にして、徹底的に征服しやうと試みる。小さい子供達も一齊に暴れ出す。小さい家の中で子供等は益々狂暴になつて、楊子削りのナイフを振り廻して私に迫つてくる。私は芳ばしい楊子の樹を噛みながら惡口をいつて逃げ出す。

 若い父はいつの間にか野良へ出てゆかなくなつた。行商を始めて見たのだつた。
 雨が降つて毎日父が家にゐる時は、入口の土間に桐油を被た、玩具や雜貨の荷が、生活の殘骸のやうに骨ばつて積んであつた。
# by tribalmoney | 2005-11-10 16:36 | 不敗

私はこの突發事件が何であろうかを

知る爲に熱心に群衆の會話を聽いてゐた。
 さうしてゐる中に、私は必ず何處かで、これと同樣の事件、寸分違はない出來事に遭遇した事があるやうに思へて來た。
 何處かで! 確に何處かで! 遠い過去だつたか、夢の中にだつたか‥‥‥
 然しそれは私の混迷でも錯覺でもない。
 鐵骨の上に横へられた足、あれは昔若かつた父の、農村から都會へと、勞働と幸福を[#底本では「農村から都會へ勞働へと幸福を」と誤記]求めていつた、煉獄の姿としての、私の心の壁畫だつたから‥‥‥

 私は眠つてゐるのか覺めてゐるのか?
 頭の上で鋲締機が鳴りつゞける。
 鉛色の蹠が二つ、私の網膜に貼りついてゐる。氣味の惡い、象形文字のやうな指紋がある。黒い傷痕がある。深い溝がある。
 黒い夢だ! 黒い夢だ!何てピストルの銃口を覗くやうな油臭い夢だろう――私は夢から遁れやうと足掻いた。

 そこは平原の黎明だつた。
 父と母と規則正しい足取りで、影繪のやうに、紫色の線上を歩いてゆく。
 彼等は蝸牛のやうに小さな自作農だつた。
 私は祖母の背中に蝉みたいに喰つ着いて、大きい土瓶と一緒に隨いてゆく。野良へ――
 露に濡れた玉蜀黍の葉ばかり、夜會服の貴婦人みたいに、さらさらさら‥‥‥とそよぐ。
# by tribalmoney | 2005-11-09 16:36 | 不敗

私はこの突發事件が何であろうかを

知る爲に熱心に群衆の會話を聽いてゐた。
 さうしてゐる中に、私は必ず何處かで、これと同樣の事件、寸分違はない出來事に遭遇した事があるやうに思へて來た。
 何處かで! 確に何處かで! 遠い過去だつたか、夢の中にだつたか‥‥‥
 然しそれは私の混迷でも錯覺でもない。
 鐵骨の上に横へられた足、あれは昔若かつた父の、農村から都會へと、勞働と幸福を[#底本では「農村から都會へ勞働へと幸福を」と誤記]求めていつた、煉獄の姿としての、私の心の壁畫だつたから‥‥‥

 私は眠つてゐるのか覺めてゐるのか?
 頭の上で鋲締機が鳴りつゞける。
 鉛色の蹠が二つ、私の網膜に貼りついてゐる。氣味の惡い、象形文字のやうな指紋がある。黒い傷痕がある。深い溝がある。
 黒い夢だ! 黒い夢だ!何てピストルの銃口を覗くやうな油臭い夢だろう――私は夢から遁れやうと足掻いた。

 そこは平原の黎明だつた。
 父と母と規則正しい足取りで、影繪のやうに、紫色の線上を歩いてゆく。
 彼等は蝸牛のやうに小さな自作農だつた。
 私は祖母の背中に蝉みたいに喰つ着いて、大きい土瓶と一緒に隨いてゆく。野良へ――
 露に濡れた玉蜀黍の葉ばかり、夜會服の貴婦人みたいに、さらさらさら‥‥‥とそよぐ。
# by tribalmoney | 2005-11-08 16:36 | 不敗

私が、骨組み許りのビルヂングの

作業場の前を通りかゝると、其處には今しがた何か異變でもあつたと見えて、夥しい人間が集まつて急しく動作してゐた。多分檢屍官でゞもあろう白い服を被た役人と巡査とを乘せたオートバイが、その前に止まると、今迄梁の上に上つてゐた黒い人影は、蜘蛛の子のやうに散つてしまつた。
 すると、鐵骨と鐵骨との間に架した横木の上に、一人の勞働者らしい人間が横たはつてゐる。往來の方へは蹠を向けてゐるので、その脛に捲きついた黒つぽい股引きの他は何も見る事は出來なかつた。
 群衆は、殘照に彩られたビルヂングを見上げながら、屍體の引き下ろされるのを待つてゐた。
「あの男は、獨り者なんですかい?」
「もう相當の年配らしいですよ。親も妻子もあるでせうがなあ」
「どういふもんでせうな斯んな場合は、會社の方から、幾分遺族の扶助料でも出すもんでせうかなあ‥‥‥」
「いゝやあ‥‥‥さういふ事は先ず絶對にないといつていゝでせうな、感電なんてかういふ場合は、大てい震死者それ自身の過失が多いですからね」
「よくよく運の惡い廻り合せです、もう三十分も無事なら、あの男は仕事をすませて、元氣な顏で彼處を降りて歸つていつたんですがな‥‥‥」
「實際ですよ。」
# by tribalmoney | 2005-11-07 16:36 | 不敗

梁上の足

晝間、街から持つて來た昂奮が、夜中私を睡らせなかつた。
 おまけに、腦天を紛碎しさうな鋲締機の足踏みが、間斷なく私の妄想の伴奏をした。
# by tribalmoney | 2005-11-06 16:37 | 不敗